あれから10年になる。何が変わって何がそのままなのか。

このページを開設したのが、2000年6月9日、宮城スタジアムこけら落としのキリンカップ試合日の2日前だった。
使わないスタジアムなんか、ワールドカップ終了後にぶっ壊せ、と主張したのが、その翌年2001年の国体の頃か。箱物行政はその後も続き、日本のあちこちに第二第三の夕張ができてしまっている。
わが宮城県も例外ではないのだ。
昨年、民主党に政権交代して、ダムの見直しをする、という。
当たり前のことが当たり前のように始まった感じがする。
巨額なお金を投資するのに、一握りの人たちの言うことだけを聞くのは間違いだ。その間違いが、地方分権とかいう間違った概念に突き進んでもいる。地方分権は権利だけではなく、当然義務までも一緒にやってくるし、箱物を作るのも借金に苦しむのも、日本全体から県に、市町村に、とそこにいる住民にすべてが襲いかかってくる。
変な権利意識だけを振りかざそうとする人や、一部の声の大きな人、そういう人だけの考えや利益や、そんなものだけで、箱物が作られる実態は、民主党になっても変わらない。
変わらないのも当たり前だ。
お上から作ってもらうという意識が、私たちにある限り、国だろうと県や市町村だろうと、相手が変わるだけで、本質は何も変わらないからだ。お上ではなく自分が働いて稼いだお金の一部、血税なのだ。他人の血税をも使って自分に利益誘導して自分だけが得をしているように勘違いしているだけなのだ。みんな同じように自分の血がダムやスタジアムや会館などに、すっかり流れているのに鈍感になっているのだ。
作るのをやめるのは簡単だが、一回作ったものを壊す、という、ハードルを越える時期にそろそろきている気もする。
そんな壊しの対象に、宮城スタジアムがまだリストされているのは、どうやら確かだと思う。
「ぶっ壊すこと」の先に何があるのか、再びちゃんと考えないと、なあなあで続けていって、多額の税金がどぶに捨てられることとなる。
この間、1年3億円の維持費が使われていたとすれば、10年で30億円がつぎ込まれた。30億円あれば、岩切からのLRTの一部でも建設できたかもしれない。
そんなことを考えると、この10年。一体私は何をやっていたのだろうか、と自問自答してしまう。