私と宮城スタジアム   
〜序章〜
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前節からの続き)
 Jリーグオールスターは8月26日、夜宮城スタジアム開催予定と聞いた。まずはキリンカップ時の問題点を洗い出した。メーリングリストやインターネット中の掲示板などで真摯な意見を求めた。ベガルタ仙台市民後援会のメーリングリストで多くの情報を得ることができた。その中では、ワールドカップ開催に向けての種々の課題を提起した、前向きの提言が多く見られた。折しもベガルタ仙台はJ2の中にあって、なかなかの成績をあげていたのだ。私も東北電力以来のベガルタのファンとして、ベガルタ市民後援会に参加していた。

 そのとき、一人の男と出会う。この出会いもまた、私に大きな影響を与えることとなった。男の名は、泉田と言った。まだ彼の人となりを知ることもないまま、ワールドカップ開催に向けて地元住民が結成した、ワールドカップサッカー対策協議会への協力を要請したのだった。まさしく臆面もなく、そのときの私は誰彼ともなく、みんなにそれを求めた。
 キリンカップは取り返しのない失敗であった。宮城スタジアムが負ったこの傷は、結局ワールドカップ終了後も続いた。すなわち、交通アクセスの問題であった。最寄り駅から徒歩50〜60分。とんでもないようなこの案内が、宮城スタジアムが途方もなく山間部の、途方もないところにある、というすり込みをしてしまった。キリンカップで刷り込まれた記憶を持つ人々こそ、ワールドカップでやってくるのだ、と思うと、私はどうしようもない焦燥感に襲われた。
 いや、挽回しなければいけない、と私は思った。すでにそのころには、私は宮城スタジアムの魅力を感じていた。宮城スタジアムを見るとき、常にあるアニメの1シーンを思い出していた。それは、銀河鉄道999の、冥王星の美女、シャドウの姿だ。彼女は機械人間で、どうやっても満足のいく顔が得られなかったから、顔は作らないことにした、と語った。宮城スタジアムの冷たさの中に、優しさ、弱さを見た。人を寄りつけない態度の奥にある、真の優しさは、懐に入り込まないとわからない。が、彼女とは距離を置かないといけない。自分も凍ってしまう。

 Jリーグオールスターまであと2ヶ月。時間はあまりなかった。輸送、警備の修正が急務であった。東北ハンドレッドと連絡を密にした。近隣町内会長との会合を持って、輸送、警備の具体策について、激論を交わした。いろんな修正が施された。シャトルバス発着所として初めて仙台駅以外の地下鉄駅、旭が丘が候補にあがった。利府駅からのシャトルも充実された。グランディ21内の駐車場警備や、送迎車、タクシーの案内、警備に綿密な計画が施された。キリンカップでは観客は同点、ドローというやるせない結末のあと、重い足を引きずって、利府や岩切まで歩いた。そういう非人道的なことは避けないといけない。利府街道は大渋滞となり、利府町内もあちこちで渋滞を引き起こしたキリンカップ。利府の住民の多くが、もうこりごりだ、と思ったことだろう。
 挽回が是非とも必要だった。
 挽回しないとワールドカップ後はない、と思った。


2000/6/11午後2時頃撮影