浅野さん・東京戦線へ |
改革派の旗頭の、前宮城県知事の浅野さんが、東京知事戦に出るということで、騒がしい・・・ 宮城スタジアム問題では、いわば敵の存在であったが、その行動パターンはわかりやすかった。ダメなものはダメ、良いものは良い、としていたが、実は結構官僚的なところもあったのも確かだ。 どうしても村井さんと比較してしまうのはしょうがないが、そこは許して貰おう。 浅野さんの良いところで、悪いところでもあったのは、政治というか行政の継続性を重視した点である。それがなければ、宮城スタジアムはなかったと思う。宮城スタジアムを作ろうと決めたのは浅野さんではなく、その前の知事である。悪さをして捕まったその知事は箱物行政では結構有名だった。バッハホールもその象徴である。 箱物のすべてが悪いとは言わないが、夕張の例でもわかるように、作ってしまえばいいというものではないし、さらに税金を投入して支えればいいというものでもない。 すべては箱物に命をともす、人間の営みがあってこそ、といえる。 浅野さんは箱物にはかなり慎重、あるいは若干否定的であったのに、継続されているものを封印はしなかった。それはたぶん、行政の継続性の重要性を認識していたからであろう。今なら本心を聞いても大丈夫だろうが、おそらく浅野さん本人だって、宮城スタジアムの建設には正直ハテナマークだったのではないか、と思う。 浅野さんの対角線上には、全長野県知事があった。彼は前任者のすべてをNOというところから始まり、それがやがては自分の首を絞めたのだ。 人間はYESかNOかという二者択一では絶対にない。選挙がその代表である。自民党と民主党の二者択一で、必ずどちらかの党しか認めない、という条件下でも、毎回の選挙で結果は違うはずだ。人間ほどファジーな存在はなく、60%は自民党、40%は民主党ということが平気で言える存在なのだ。 だとすれば、たかが一回の選挙で否定した人たちが次でもまた同じ否定という選択をするかは全くわからないのである。 だからこそ、前知事だって選挙で選ばれた人であり、逮捕の理由になっていなければ、その行政的選択は敬意を持って接して当たり前である。浅野さんはこういうことを自然に考えて行動したから、前任者の選択を完全否定はしなかったのである。 ここが、ややぼんくら気味の村井知事とは違うところである。浅野さんの影に怯えるがごとく、浅野さんがジャッジしたことを否定し、翻そうとするのは、まるで子どもの喧嘩である。いや、それでは子どもには失礼だろうから、まあ、原始動物以下なのかもしれない。 浅野さんが東京知事に向いているのかどうかはわからないが、石原さんを前回選択したからこそ、今の政治や行政があるわけで、たとえ浅野さんが選挙に勝ったとしても、有権者が石原知事のそれを全否定したわけではない。 いずれにしても、改革派というよりも、目線を庶民と同じにして、良いところは推進し、悪いところは軋轢を生まないように、うまいこと修正していくような行政手腕が要求されるし、また、それに応えることができそうなのは、浅野さんくらいだろうというのは、私でも予想はつく。 ま、携帯電話の通話はご遠慮くださいの、新幹線の座席で、思わず携帯電話を使っている写真(3/1河北新報朝刊)は、ちょっと解せないが、まあ、許しましょうか(笑) 東京知事選への意欲を見せたことについて、宮城県内からは大きな批判が出ているが、これはやむを得ないなあ。ただ、彼が宮城県知事の4選出馬をやめた理由は多選の問題点を知っていたらからだし、そもそもその前の知事のことがあったに違いない。また、彼は『山本壮一郎さんのところにご挨拶に伺った時の言葉が、とても印象深かった。「浅野くん、知事はなるのも大変だが、辞めるのはもっと大変だ。自分は3期で辞めようと思ったが辞めさせてもらえなかった。結局5期20年もやってしまった。とても恥ずかしい」という先輩の言葉は、知事になって3日目の私には、奇異にも聞こえた。』とシローの走り書きに書いているが、たぶん本心だろう。3期で辞めることを最初から決めていたようなことがあったが、それも半分くらいは正しいに違いない。 そんな浅野さんが宮城県を裏切って、東京に行くことに、みんな生理的に反対しているように見える。 誤解を恐れずに言えば、東京の知事選は、他の知事選とは全くの別物である。それは小さな国家なのだ。都市国家たる東京の特別区はいわば知事直下の行政区である。日本における唯一の大統領的な存在が東京都知事なのである。 その知事戦は単なる地方選挙では絶対にないし、選挙する側も東京都民とはいえ、そのルーツは日本全国である。 日本の顔はいわば2つあるといっても過言ではない。安倍さんと石原さんなのである。そんな日本の顔の一つを交代したいと考える人の多くが浅野さんを担ぎ出そうとするのは、その人たちにとっては間違いでは決してない。 浅野さんを批判するのは簡単だが、そういう人たちのマインドは否定すべきではない。 村井知事が記者のそそのかしに乗ってくだらないことを述べているが、いつまでも前知事への対抗姿勢を見せるのは、どうか、と思う。 自分の意識の中に浅野が残っている限り、浅野を超えることはできないし、県民を見ずにどこを見ているのか、と思う。こんな知事を選んだのは誰かという問いはどうしてもしてしまうが、公的な場所で前知事を批判するのはできるだけ控えた方がよかろう。そうでないと、自分をより小さく見せてしまうだけである。 一方、浅野さんは増田岩手県知事が言うように、この後、宮城県民には少なくとも説明責任があるように思う。知事を3期で辞職したことで、少なくとも村井さんというくだらない知事を選ばざるを得ない状況にした責任もあるからだ。『東京都知事は他の知事とは違う』という意味合いを、もっと砕いて、県民に呼びかける必要がある。 2007/3/7加筆修正
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