東京オリンピックパラリンピック: ぶっ壊すべき『箱物』に,愛をこめて・・・ |
legacyが問われる。整備した五輪会場の祭りの後の話。 宮スタの話をしよう。2001年国体,2002年サッカーW杯。5万人のスタンドは不要だ,ぶっ壊せ,と,私は,言った。 http://www.2002rifu.net/problem/prb-sonogo.html ことにW杯前に書いたのはこちら http://www.2002rifu.net/problem/prb-sonogo_old.html 今となっては,ややむなしい感じであるが,2016年の宮スタはこのときの想定された姿とはかなり違っている。 legacyとは,まさにこのことである。 単に競技場が残っていれば良いという問題ではない。当たり前のことだが,使われなくては全く意味がない。 宮スタはどうか。 大規模イベントは1年に1~5回程度。5万人のスタンドは,依然,不要な感じだが,それでも1~5回程度の大規模イベントに対処する施設が,宮城いや東北には見当たらないから,お金をかけても維持する必要があるのかな。 実は,今の宮スタは,子どもたちの笑い声がよく似合う。 主に,中学生,高校生の,陸上競技などで,トラックやピッチが頻繁に使われている。 中でも特徴的なことは,オーロラビジョン(大型映像)に,子どもたちの活躍の姿が映し出されるところだ。場合によっては観客の姿も映像に映し出される。 日本国中,どこに行っても,競技している,ごく普通の中学生や高校生が,競技場のオーロラビジョンに映し出されることはほとんどない。五輪銀メダルの400mリレー選手ではないのだ。 ところが,宮スタでは,ごく普通のことなのである。 こういう「ごく普通なこと」が,ごく普通に行われるようになった背景を考えて貰いたい。この14年,それが普通のこととして,維持されてきたことを考えて貰いたい。 legacyを唱えるのは簡単だが,現実にそれを有効利用し,長年利用することは,並大抵の努力ではない。 豆腐のような1ちょう,2ちょうで,考えて,それが当然と思う人たちには,このような努力は,馬鹿でしかないかもしれない。 そういう彼らこそ,legacyをハード面だけを考えている愚か者なのだ。 legacyは,ソフトの方も重要だし,むしろソフトがなければ,無用の長物となる。 これから東京五輪に向けて「ぶっ壊せ」対象の「箱物」が随分とできそうだ。 簡単にlegacyを言ってはならない。競技人口もさることながら,それを「みる」「支える」人の存在を含めた,ソフトの問題を考えねばならない。 ボートは競技人口で言えば,1万人程度であり,野球,サッカー,水泳などと比べると3桁くらい低い。競技人口だけ考えて,ハード面から冷静に言えば,legacyを語るのは,滑稽なのである。 |
『海の森水上競技場』の無駄とレガシーのなさ |
やはりlegacyが問われる。本当に「海の森水上競技場」が必要なのか。
今年2月の都議会決議前に,競技者や連盟などから多くの否定的意見がでたことは記憶に新しい。 それでも,なお,「海の森」に固執し,それを通したのが,東京都であり,組織委員会なのである。アスリートファーストというのは,でまかせであり,それを否定されると都合良く,都民ファーストと表現していた。 以下は,その少なくとも「アスリートファースト」ではない証拠である。
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