4年目の真実 |
2006/5/9に最初に「4年目の真実」を書いて、2ヶ月近く放っておいた。というより、W杯ドイツ大会が始まったので、そっちに夢中になってしまって、ワールドカップを「みる」「応援する」ためのモチベーションを保つために、このサイトのことを封印したのだ。ファン、サポーターもモチベーションを最高の状態にして代表を応援しないと意味がない。 とはいえ、日本は初戦で絶対に勝たないといけないというのに負け、その後1勝もしないまま、ドイツを去った。私は元々日本の状態は良くてフランス大会当時の状態、悪ければもっと下降線をたどっている、と見ていたので、決勝トーナメントに行けないかもしれないとは思っていた。だから、むしろ、W杯を楽しみたいと思っている。実際、明日早朝のドイツ−イタリア戦(私はこの2チームを優勝候補に推していた。実際、6/10のW杯の集いではドイツと書いた)、明後日のポルトガル−フランスの試合が楽しみなのだ。ただ、これでは欧州選手権(ユーロ)と同じだと思うのは私だけではあるまい。だから、私は欧州のホームでW杯をやるべきではない、と思っている。 さて、日本はトルコとの因縁再試合に勝たない限り、W杯の決勝トーナメントには行けない、と私は思っているので、まあいいとして(良くはないが)、中田選手のことは、実は忘れていた。プロ引退という噂というか信念はあるとは聞いていたが、仕事をしていて楽しいと思うことが苦痛と思うことを下回ったならば、その仕事に見切りをつける、というのは仕事をもつ者の大原則なので、そういう普通の労働者的には今回の中田選手の見極めには共感できるものが多い。が、その影響力、特に子どもたちへの影響力を考えると、にわかには賛成しづらい。きっと彼もそのことを悩んだに違いない。 まあ、中田選手論はつきることはないので、この辺でやめておこうか。ただ、彼のことを思ったので、この「4年目の真実」を書き続けることにした。なぜか。彼は、2002/6/18、宮城スタジアムでの試合終了後「トルコ戦は不完全燃焼のまま終わってしまった。全然動けない状態というのではなかった」と言っていた。が、ブラジル戦ではあの通り。全然動けない状態まで走り通したのだ。 宮城スタジアムもこれ以上どうしようもないくらいの努力を傾けてそれを残そうとしたのかどうか、そのことが重要だ、と私も気がついたのだ。 というわけで、2002年のワールドカップサッカーからもう4年が過ぎ、忘れられた、あるいは忘れかけたスタジアム、宮城スタジアムの4年はどうだったのか、「ぶっこわせ!」的発想で振り返ってみようか。 遡れば、6年前の6月11日、雨の宮城スタジアム。あのときから、何でこんな山の中で日本代表が試合をするんだろうか、という多くのサポーターやファンの疑問と苦労で始まった。それは今も全く変わってはいない。 変わったといえば、ハードウェアではなく、その箱物を何とか利用しようという、人間の考え方だろうか。5〜7月の宮城スタジアムの主なイベントを列挙しよう。
ところが、今は違う。こうしたイベントが目白押しだ。でも、何かがほかのスタジアムとは違うのだ。それが、宮城スタジアムが目指した、地域密着なのだろう。 確かに、4万9千人の観客席はいらない。単なる修飾に過ぎない。でも、スタジアムに響く歓声や、躍動感が、毎日あふれているのは確かだ。中学校の陸上大会でスタンドにいてそれを見ていると、何かしら楽しい。そして何かを自分で見つけられる。そんな中に自分をおけるような気がする。 でも、果たして本当にこれでいいのか、検証を続けよう。 まず必要ないように思えるのが、スタンドだ。上記のいずれのイベントでもがらんとして、意味がなさそうだ。だが、コンコース上は中学校やスポーツ団体の人が思い思いにシートを広げて、お弁当を食べたりしてくつろいでいる。とにかく広いので、誰も文句をいう人はいない。のびのびとやっている。 つまり、最大の問題点であるスタンドについてどのように考え、また維持し、さらにお金をかけていくのか、ここが焦点だ。屋根のあるスタンド内部は陸上競技をしている選手の家族にとって必要な存在だ。だから一度宮城野原から宮城スタジアムに移ってしまうとそのことの良さを実感してしまうわけだ。さらに、駐車場は留め放題。従って、交通アクセスさえクリアできれば使う者にとってはこれほど使い勝手の良い施設はない、という感じのようだ。実際、多くの保護者に意見を聞いてもそんなふうな回答を得た。だが、それも大会だからであって、日常の練習の施設としては甚だ不都合に違いない。何せ、親が送ってこないといけないからだ。 さて、問題を整理しよう。結局、
2006/7/4 5:00 a.m.引き続き執筆中・・・
|