新球団とボランティア

2004/11/2
新球団 今や仙台は新球団の期待で、街がベースボール一色となってきた。
9月16日の、ライブドアによる宮城球場本拠地のプロ野球チーム申請。さらに、24日、楽天の申請と、まさに、えらいことが起こったわけ。
まあ、長いこと、サッカーなどで辛酸をなめられた(感じの)野球界にとっては、久々の、それも、降って湧いたような、大ラッキー大会の嵐なのである。
さらに、サッカー関係者すら、「俺は昔は野球小僧だった」などと、この雰囲気を迎合するところもあって、興味が尽きない、新球団である。

この話題、辛口で知られる、本HPで、この話題、どういう切り口で切り込もうか、と、実は悩んでいたところ、偶然にも昨日、河北新報の某討論会に出席させて頂いたことで、それこそ、打撃開眼したところである。
野球とサッカー 結局、この選択肢しかない。
そう、ボランティアという目で、この新球団設立をどう見るか、ということである。

サッカーの試合では平気にボランティアが使われるが、これは元々ボランティアがその運営を支えていた経緯もあるし、サポーターやボランティアというような人間くさく、貧民的集団が、なんとなくサッカーには似合う感じがする。
一方で、野球というと、ブルジョアジーなスポーツという感じがあって、ボランティアが支えるというと、不釣り合いな感じがする。
こういう感じは、決して私の独断的なものではなかろう。
バレーボールとか、体操とか、何となく華やかな感じだが、卓球とか、ハンドボールとかは、何となく、落ち着いて寂しげな感じがしたものだ。
まして、プロとなると、野球、ゴルフ、テニス、と、本当に華やかな世界である。
そのスポーツが流行っているとか、注目されているとか、という感じではなくて、恐らく、自分の周りにいたその種目のプレーヤーの感じが、その種目全体の感じを決めているのかもしれない。
そういう意味では、1億円プレーヤーがひしめきあっている、プロ野球は、華やかの代表みたいなものなのだろう。

そうしたブルジョアジースポーツに、ボランティアという考え方は、何となくなじまなかった。

今回のプロ野球再編騒動で、オーナー側がいわば旧人類の代表として自分たちの利権を守ることに終始したのに対し、将来を見据えた選手たちの行動には絶賛であった。
このこと自身は、サッカーの興隆と決して無縁ではないだろう。
プロのサッカー、Jリーグが始まったとき、プロ選手であるサッカー選手が在野に降りてきた感じがしたのは、まさにこの庶民的な感覚だったと言えよう。
その感覚が普通になったとき、70周年を迎えた年に、労働組合プロ野球選手会という、いかにも前時代的な団体が普通の要求をした、ということである。
このとき、私は、プロ野球が在野に降りてきたのでは、と、ふと思った。
つまり、普通の人たちが、すごいプレーをする、というのである。
プロ選手との交流が日常的なものとなってくると、もはや、ボランティアによる運営は必然的なものになったと言える。なぜなら、彼らは憧れの対象ではあるが、それだけでなく、私たちの希望を叶えてくれる人であり、その存在はすぐそこに手の届く私たちの中にいる人なのであって、希望をかなえてくれる代償としての自発的な行動が、サッカー試合におけるボランティア活動と言えるだろう。
この辺を間違えて、単なる無賃労働者的扱いをする、愚か者がまだたくさんフロントにいることは、非常に懸念されることではあるが、多くのクラブの代表者や責任者は、ボランティアの存在を正しく捉えているに違いない。
ボラの関わり では、野球へのボランティアの関わりはどうか。
ブルジョアジーの野球の選手は、手の届く範疇にはなく、天井の上の世界に生きる、真のヒーローたちであるはずだが、一方のサッカー選手が在野に降りてきたおかげで、同じスポーツである野球の選手たちも降りざるを得ない状況となったわけだ。
それが今回のプロ野球再編騒動につながるものと、私は確信している。
とすれば、ボランティアの関わりもどっか変わってきたのではないか。そう思って、今回の動きをよくみると、実に面白いことがわかる。
申請した2社ともに、「地域密着」をうたい文句にした点だ。
これはまさしくJリーグの100年構想そのものである。川淵キャプテンが仙台に何回となく来て講演したときに、この「地域興し」「地域密着」「地域コミュニティ復活」という熱弁をふるった。
それが、若いリーダー達から出てくるところが、面白い。
地域がどう関わるか、と、プロ野球を普通に捉えると、地域経済であるが、どうも今回のキーワードである「地域密着」ということには似合わない。地域経済に密着なら、河北新報やら東北電力やらが球団を持てばいいのだが、そうではなくて、東京の会社の人が、仙台に来て「宮城球場をフランチャイズにする球団をつくるが、それは地域密着にしたい」と、言ったから、話がややこしくなる。
一体、どういうことなのか。この辺の真意はともかく、経済だけでは「地域密着」を語ることはできそうもない。
とすれば、「支える」スポーツを考えねばならない。というわけで、こう考えてきて、ようやく、ボランティアという視点があることに気づく。
ボラと野球 では、野球の試合にボランティアは必要なのか。
これは正しい問いかけではない。すなわち、全てのアマチュアスポーツには、ボランティアが絡んで、運営を支えている。ここでいう「ボランティア」とは正規の仕事以外のことをやって、という意味合いである。
では、プロ野球の試合とボランティアはどうなのか。
ボランティアが得意な分野が生かされるかどうかが、分かれ目である。

さて、今日はこのくらいにして、もうちょっと考えてみたい。(2004/10/20記)
地域密着 さて、どのような関わり合いが想像できるか、である。
両球団ともに「地域密着」という看板を掲げているが、全くその中身がわからないまま、現在に至っている。
河北や朝日の討論会などでも、その辺は曖昧なまま。
いずれも東京資本で、かつ、ニューリーダーである両者が「地域密着」を掲げるのには元々違和感がある。
経済的な地域密着を目指しているのだとすれば、球団の維持に地元経済界を巻き込みたいという意図があるのかもしれないが、それだとフランチャイズという概念から外れていくし、現状他の資本を入れずに着々とスタッフは揃っていっている。
このことを見ると、経済界は期待していないか、むしろ煙たがっている感じもしなくはない。大山さん(アイリスオーヤマ)がその辺の感じを鋭く嗅ぎつけてすかさず地元経済界を主導とするドーム球場構想をぶちあげたのは、地元経済界の危機感を感じさせるものだろう。
ドームが成功しようが失敗しようが、ぶちあげたときにつきあった会社はどこかを見分けようとした感もある。
さて、ライブドアや楽天が言う、地域密着の中身は経済界よりもむしろ市民球団を指しているのは確かだろう。運営費用の圧縮を狙って、先行するベガルタ仙台的な盛り上がりを狙って、という感じだ。
逆に言えば、それに乗っかるかどうかで、新球団が安定化するかどうかが決まるとまで言えるのではないだろうか。
楽天が小中学生招待について、嫌がられるのを覚悟で真剣に考えたのは、こうした背景があると考えた方がいい。
これは、反面ベガルタ仙台にはなかった考え方でもある。
そういう背景を考えてのボランティアとは一体なんだろうか。
たぶん、市民後援会的な盛り上がり(=ベガルタ仙台におけるホームタウン協議会的なもの)と、スポーツの重要な柱の一つ=支える、というもの(=ベガルタ仙台におけるボランティア組織)だ。
両方を一緒に考えているふしがある。
そう、それこそが市民球団=地域密着型球団ということになろう。
とすれば、ボランティアの関わり方はどうなんだろうか。極めて重要なポジションを担うこととなろう。すなわち、球団経営の右腕として働きつつ、観客動員のイベントへの関わりから、実際の運営面など、全ての局面において求められるものではなかろうか。
こう考えてきて今初めて、地域密着の中身がわかるのでなかろうか。
それは、ベガルタ仙台が進めてきて、なお達成できないでいる、真の「市民球団」である。

ボランティア組織にはボランティアを超えたプロフェッショナルなものが求められているのではないか。
そう考えると、グランディ・21ボランティアやベガルタ仙台ボランティアの枠組みとは違う感じの組織が求められているのは確かだ。

11/2、東北楽天ゴールデンイーグルスが新規参入を決めた。