新球団雑感2004/11/2 |
後出しジャンケンの勝ち? |
11月2日、祝日の前である。遅れに遅れて、17時前、やっと楽天が決まったという記者会見が行われた。 14時から3時間弱、ライブドアを落とすための理由をオーナー全員で一生懸命考えていた時間ではないか、とすら思う。 日記に書いたことを改めてここに書いてみよう。 まず、どうして楽天は嫌われたか、を、冷静に考えてみることにする。 確かに誰がどう考えても、仙台に新球団という発想になるわけだが、最初から新球団を認めようという考え方のない時代に、手を挙げたのはライブドアであった。 誰もがあっと言う感じで、すかさず、浅野知事が賛成した。また、誰もがロッテという名を頭に浮かべたことは間違いない。 そしてその記憶は非常に鮮明であり、また強烈であって、糞苦いもののはずだ。 なぜなら、仙台が本拠地である(とみんな思っていた)ロッテが、日本シリーズを仙台でやらなかったのであり、それどころか、優勝パレードだってやってないのだ。 ロッテにこれほど嫌われたのはなぜだ。
ロッテの二の舞を作るな、それがキーワードとなって重くのしかっていった。 結果、仙台に球団を作る、という、それだけで盛りあがり、期待感が膨大に膨らんでいったのである。 つまり、ライブドアが最初にぶち上げたように 「仙台に新球団を作る」 そのことに反応し、それが全てになってしまった感じである。 ライブドアが開けたドア。それが、仙台新球団構想であり、“そのことだけ”で、盛り上がってしまったわけである。 逆にそれが楽天の参入を許すきっかけとなったことは確かだ。 ライブドアが仙台の新球団について最初に言及したのは「地域密着」だけだったと言って良い。 この「地域密着」は、新規参入を目指す誰もが言うことができる、比較的簡単で、かつ、(結構曖昧なので)どうやっても実現可能な言葉なのである。 そうして、“新球団ができる”そのことだけで、welcomeという姿勢を示してしまった。 ここが最初の肝心であったのだ。 結局、 “ライブドアwelcome状態であるのは、ライブドアの中身を見て決めたわけではなくて、仙台に新球団を作るから”という理由だけ。 選手やフロント、スタッフや、経営の中身や付随イベントなど諸々のものを見て、welcomeだったら、ライブドアが敗れ去ったときには、はんた〜〜い!と言えるけど、そうではない。 やっぱり仙台に来てしまうのだから、仙台に来たチームを応援しないといけない理由ができてしまったわけだ。 |
真の敗者は誰か |
新球団ができる、そのことだけでwelcome、その思いが多くの仙台市民、宮城県民に侵透してしまった。 なぜなら、選手ストの後押しも何もない時代に、誰もがみんな「新球団? そんなわけ、ねぇべや」と思っている頃に手を挙げたのが、ライブドアだったのだ。 それを支持しないわけはないのである。 さて、風雲急を告げ、風が変わるのを敏感に察して、次に手を挙げたのは楽天であった。 「後出しジャンケン」 とみんなが思ったし、実に言い当てて妙な言葉である。 なぜ、ライブドアと同じ本拠地だったのか。 考えれば当然の話なのだ。 楽天がそれこそ楽に勝つには、明らかに相手より勝っている、その相手と同じ土俵で戦えばいいのである。 長野や神戸で、仙台と戦っても、勝てる要素はないのだ。 なぜなら、神戸だと、選手会が目指した、自由化とは違うし、その余力も元々あり得ない。 長野に至っては、ベース人口の低さが問題となっていた。 有る意味、日本国中、適当な地は仙台にしかないのだ。 というわけで、楽天が新規に名乗りをあげたわけだ。 となると、誰がどう考えても、ライブドアか楽天か、というだけの話に帰着する。 で、仙台に2つの球団をかかえるだけのゆとりがあるのか。 もちろん仙台地域には1つの球団しかありえない。 その上、楽天は某Jリーグ球団を抱えての経営経験があるから、誰が見ても楽天有利だし、1つに絞られるのは必定だし。 最初から勝者は決まっていた。 というか、勝つための、当然勝つはずの闘いに、やってきたのが、楽天なのである。 もう一回整理すると、
結局、2つの会社のはざまで、うごめき、かつ、真の当事者とは全く関係のないところで結論が出てしまったわけである。 ところが、決まったからには、応援しないといけない責務が仙台、宮城には生まれてしまった。 いや、少なくとも新球団に諸手をあげて賛成してしまった人には、それができてしまったのだ。 これは後出しと非難するとは別の理由がそこにあるわけである。 繰り返しになるが、 “新球団ができる、そのことだけでwelcome、その思いが多くの仙台市民、宮城県民に侵透してしまった”のである。 ライブドアだろうが楽天だろうが、新球団ができるのは確かなのだ。 真に勝利したのは誰か。 また、真に重い責務を負ったのは誰か。 このことを気づいたとき、今回の騒動が、非常に高くて大きく、かつ繊細な計算のもとに行われているという実感を持つわけである。 何はともあれ、新球団に幸多かれ、と祈りたい。 |
ベガルタ仙台の影響とは |
上記を見ていくと、解明されていない動きが一つあることがわかる。 それは、“なぜ、ロッテ時代とは違って、新球団に熱烈なラブコールがあるのか”である。 Jリーグ、ワールドカップ、そしてオリンピック、ドイツW杯、と、サッカーがスポーツのメインな競技として発展しつづけた。 これが野球ファンに危機感を抱かせたと言ってよい。 つまり、仙台においては、ファンサポーターが燃えに燃えた、ベガルタ仙台が、野球ファンに対して、脅威でもあり、また良き前例として写ったことは間違いない。 サッカーと野球のファンは兼業することは100%無理だろう。 だからこそ、忸怩たる思いで今まで過ごしてきた、メジャーなプロ野球ファンは、今こそ我が意得たり、と。 ベガルタ仙台の影響はもっともっとある。 つまり、心理的な効果だ。それは、ファンサポーターの仙台方式のやり方であり、それは国立仙台病院を身近に控える宮城球場独特の論理とも言って良い。 それも加えて全部がベガルタ仙台を見本としようとしている。 これはこれで、“いずい”話なのだが・・・ 一方、ベガルタ仙台にとってはどうか。 明らかにプロスポーツチームがいない状況で、ベガルタ仙台がサッカー“も”好きな野球ファンを惹き付けていたことは確かだ。 彼らは今後宮城球場に足を運ぶのは間違いない。 だからこそ、ベガルタ仙台はこれまで以上に人を惹き付けるようなクラブチームになる必要がある。 J2に落ち、初年度であがれない状況で、かたや多くの人を喜ばす新チームの誕生の裏になってしまうわけだ。 来年こそ、お金を払って見に来て貰える試合をしないと、次第に尻すぼみになることは間違いない。 ベガルタ仙台が仙台地域のプロスポーツ熱を、先進的かつ先鋭的に推進してきた実績こそ今回の新球団誕生につながったのに反面、チームはJ2であえいでいる。 このことを思うと、ベガルタ仙台の行く末に大きな不安を抱かざるを得ないのである。 ただ、サッカーと野球、これが共存できないわけはないのだ。 広島しかり、福岡しかり。 札幌の例もあるが、互いに魅力のある球団となって、惹き付ける試合をすることが最も重要であろう。 良きライバルとしての共栄共存しか、両球団に生きる道はない。 互いに明確にライバルとして意識するもいいし、ときには互いに協力しあうこともあっていい。 決して、敵視しないことだ。 あるいは、無視しないことだ。 それでは何も生まれない。 まあ、いずれどこかで、この続きは話してみたいな、と思う。 |