基調講演
地域に根ざしたスポーツクラブづくり
川淵三郎(Jリーグチェアマン)
要旨
記録者=村松淳司
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ベガルタ仙台 → ボランティア100人以上雪かきをしてベガルタの練習開始を手伝った。
- 2年連続の黒字、観客動員数←環境がきびしい
浦和レッズ(J1でもJ2でもどっちでもよかった)が、J1に行ってしまった。
仙台も1万人の目標にがんばってほしい。
ベガルタ仙台→地域に根付いていく
チャンピオンシップに出るようになったら、宮城スタジアムがいっぱいになるであろう。
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toto
- 川淵さんが買うと100万円の罰金
女房が買っている。300円、800円で当たるはずがない。
仙台、鳥栖、新潟が、Jリーグのクラブであるという知名度があがった。J2のクラブを知るとても良い機会となった。250万人の人が投票した。売場が身近にあればもっと多くなるだろう。売り上げの約30%が地域スポーツの育成としての基金となる。
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Jリーグの理念
- 1.日本サッカーの水準向上及びサッカーの普及促進
2.豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与
3.国際社会における交流及び親善への貢献
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1に関して:
- 1968年のメキシコ五輪以来、世界から置いて行かれた。
→プロ化→シドニー五輪、U20準優勝、1998フランスワールドカップに出場。技術的向上に対するJリーグの役割は拡大した。
次は草の根の指導者の育成
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2について:
- 豊かなスポーツ文化の振興
地域社会→いつでも、どこでも、スポーツできる環境の充実
学校中心、企業中心のスポーツ→極少ない国だけがとっている(米国、イングランドなど)
多くの国→地域に根付いたスポーツクラブ
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超一流のエリートが輩出されている
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運動も勉強も学校が日本
欧州では、勉強は学校で、スポーツは地域社会の役割
日本では施設が少ない。十分な施設を作りたい。
1960年ドイツ。当時日本が石ころごろごろのグランド。
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地域スポーツ施設があった。付属設備も、レストランもあって充実。
芝生のグランド。障害者も低いネットを張ってバレーの練習をしていた。
40年前の日本では考えられなかった。日本では100年たっても実現しないのではと思った。
日本にこういう施設を作るべきだ。その想いがずっとあった。
Jリーグを作るにあたって、地域に根ざした、そういう施設を地域に作ろうと思った。
欧州:
地域社会=スポーツクラブ→強いサッカーチーム→地域だけでは無理だから、リーグを作る→より強いリーグができる→地域社会に貢献
日本では欧州の真似はできない。
日本ではいきなりプロをつくって、裾野を広げないといけない。
Jリーグはサンプルとなろう。
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鹿島:
- 鹿島臨海工業地帯。
鹿島市=20,000人程度の小さな町。住友金属を中心とする工業地帯となり、超エリートが25,000人きた。町も立派になって、ホテルもできた。
だが、超エリートは田舎に住みたくない。
どう活性化するか。若者が住みたい町にするか。1980年20代の若者が7,200人いたが、どんどん減って、5,200人になった。
→Jリーグに申込にきた。
何とか方法がないかと考え、プロ化を目指すことにした。
45,000人の町だから、3,000人のサッカー競技場を作る、といった。
町長、知事、住友金属社長が私のところにきた。
私:99.9%可能性がないと断った。
町長:0.1%の可能性がある、それはなにか
私:断っているのだから、0.1%は考えてなかったが、とにかくあきらめさせるために、15,000人のサッカー専用の競技場を作ったらあり得る、と答えた。
あきらめた、と思った。
だが、一週間後、彼らがきた。10数人できた。変だなと思った。あきらめるにしては10数人は多い。
知事が15,000人のサッカー専用競技場を作るといった。
驚いた。サッカー競技場をつくれ、と言ったくせに困った。
観客動員はどうする。高校卒の若手が来るわけがない、と言った。
ところが実際には若手はどこに行けば、育つか知っている。
世の中で大切なことは前例である。
鹿島は広いから、施設を十分にできる。
クラブハウス:芝生のグランドが3面ある。地域の人がやってくる。環境がいい。
若者が集まる。ジーコという神様もいた。
一番最後に入れた鹿島が模範生となった。
地域住民がボランティアをしている。駐車場の管理、チケットのもぎり。
試合は見られないのにやっている。
1996年20代の若者は6,600人に増えてきた。
町を誇りに思うようになった。共通の話題ができるようになった。鹿島のイメージががらっと変わった。
鹿島の試合:
屋台がいっぱいでる。おまつりと一緒。イングランドのパブのように、試合前と試合後、人々が集う。
多くの農家は庭が広い。そこを駐車場にした。10~20台の車を止めさせる。日銭が、200~300万円入るようになった。年間4〜5千万の収入は大きい。現在ワールドカップのための回収で鹿島が使えない。
農家から文句もでた。畑仕事を止めたという話もあった。
1993年5月16日の最初の試合。観客はぱらぱらという感じだった。
そのうちゴール裏に立錐の余地がないほどたくさんの人がつめかけた。
警察官赴任の話がある。昔鹿島に行くのにいやがった。暴走族の取り締まりがあった。
今は鹿島に喜んで行く。暴走族がいなくなった。彼らが鹿島の応援団になった。
茨城県の端っこに、波崎町。
ここには、芝生のグランドが70面ある。休耕田などをグランドに変えた。
最初、ある農家が5つくらい作った。東京あたりから、練習したいとつめかけた。どんどん増えて先月には70面もできた。民宿がある。冬でも立派な芝生のグランド。
15〜20億円が波崎町に落ちていく。
問題は農地だったこと。雑地に変わると税金が変わる。知事にいうと、ごまかしながらやっている、ということ。
農地とは違う形でグランドになった。日本一のサッカーの町になった。菅平の100面はラグビーもあるが、サッカー専用は波崎町だけだ。
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Jリーグ
- だれでもいつでも、地域社会の人と知り合える。コミュニティの問題。地域の核となるか。
小さい頃から地域に溶け込む。
世界の檜舞台にたつ選手がでると、収入が増える。地域スポーツの施設が充実、指導者育成ができる。
一番やりたいのは、スポーツを通じて毎日楽しく生活できること。もちろん他のスポーツもいれて。
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ベガルタ仙台
- サッカー以外のスポーツの大会をやっている。大した規模ではないが、10何回かやっている。他のJリーグチームもやっている。これももっと具現化したい。バレーボールとか。いろんなスポーツを地域と一緒に取り組む。
新潟ではバレーボールのチームを抱えた。東京ベルディも企業のバレーボールチームを引き受けた。
もっと進めたい。経済的、財政的にはつらいが、強い意志があれば、実現可能だ。
ベガルタ仙台はJ2の中でも積極的に活動している。他のクラブが参考にしながら活動してほしいと思う。
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最後に一つだけ。朝日新聞のコラムから始まった、5分のビデオ。
- 大縄跳びの話。
小田原の城北中学校。
運動会の前、運動神経のない子を大縄跳びに入れるかどうか、議論となった。
みんなで手をつないで飛ぶので、彼がいるとうまく行かない。
先生は悩んだ。彼を一緒に出すのが公平といえるのかどうか、と。
クラス会で決めようじゃないか。
36人中、13人は彼をはずしてやる。11人は彼と一緒にやる。
一人の子がたって、最初は彼をはずしてやって、途中から入れる、という案を出した。
これでまとまるかと思って採決すると、クラスがバラバラになるからと反対があがって、26人が反対した。
一人の子がたって、彼に尋ねた。君はとびたくないの。彼は、とびたい、と答えた。
一人の子がたって、勝ち負けなんてかんけいないじゃない。クラス中が大きな拍手があがった。
先生は涙声で再度採決した。
クラス全員がみんなで飛ぼうと言った。
(川淵チェアマン泣く)
結局そのクラスは5クラス中ビリだった。
その子は産まれて初めて続けてとんだ。70回もとんだ。
作文で、とびはねるほどうれしい、と書いた。
先生は大縄飛びのとき、生徒の足下だけを見ていたのできづかなかったが、生徒はみんな泣きながら飛んでいた、と作文に書いた。
スポーツは人を思いやる気持ちをはぐくむ。
一緒になってとぶことで、達成感、連帯感が生まれる。
だから、スポーツは価値があるのだ。
いろんなスポーツの中で、勝ち負けを問題としない、一番大事なものを覚える。
Jリーグはこどもたちにこういう機会を与える存在。
今のこどもたちはよくあそばない。
ゲームに夢中になり、人との関係を絶ってやっている。
人間関係がおかしくなる。
だから、ふれあいの場をつくりたい。
この話、いつもいつも、しゃべりながら感動してしまう。
こういうこどもたちに元気づけられる。