仙台一口知識


千代から仙台へ
伊達政宗が拓いた仙台は、昔は千代(せんだい)と呼ばれていたが、政宗はたった千代とは短い、もっと永遠にこの地が続くようにと、仙台と名付けたそうです(仙台は本当は、仙臺と書くのです)。
「入りそめて 国ゆたかなる みぎりとや 千代(ちよ)とか限らじ 仙台の松」
なお、仙台城のある川内(かわうち)を音読したとする説や、広い川(アイヌ語でセプナイ)がセンダイになったとする説、仙台城の地に元々千体仏がありこれが千体=千代になったとする説があるそうです。
さらに、仙台の命名のいわれは、唐の詩人韓(かんこう)の七言律詩「同じく仙遊観に題す」に求められるそうです。
 同じく仙遊観に題す
 仙台 始めて見る 五城楼
 風物 凄凄として 宿雨収まる
 山色 遙かに連なる 秦樹の晩
 砧声 近く報ず 漢宮の秋
 疎松 影落ちて 空壇浄く
 細草 春香ぐはしくして 小洞幽かなり
 何ぞ用いん 別に方外を尋ねて去るを
 人間 亦た自ら丹丘有り
また、文献によると、政宗が築城する前にすでに青葉山には国分氏(後述の国分町の名前の由来)の居城「千代城」があったことが記されています。

伊達政宗
独眼流政宗の名で知られる戦国時代から江戸時代に生きた名将であり名政治家であります。宮城県全体の郷土の英雄であり、仙台に来ると彼の名を聞く機会が多いです。
「宮城県史跡巡り・伊達家歴代十三代」のホームページはこちら伊達家十八代当主「伊達泰宗」のホームページはこちら。 「伊達之都」ホームページはこちら「天下の独眼流・伊達政宗」のページはこちら「独眼流と愉快な仲間たち」はこちら

芭蕉と仙台
芭蕉は旧暦の5/4仙台に入っています。3泊したあと、5/8には多賀城に来ています。
当時は、端午の節句を前にして、夜に軒端に菖蒲を葺く習慣があり、「奥の細道」にも、
 名取川を渡って、仙台に入る。あやめ葺く日なり。
という記述があります。
 名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて四五日逗留す。爰に画工加右衛門と云
ものあり。聊心ある者と聞て知る人になる。この者、年比さだかならぬ名どころを考置侍ればとて、
一日案内す。宮城野の萩茂りあひて、秋の景色思ひやらるゝ。玉田・よこ野・つゝじが岡はあせび
咲ころ也。日影ももらぬ松の林に入て、爰を木の下と云とぞ。昔もかく露ふかければこそ、「みさ
ぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社など拝て、其日はくれぬ。猶、松嶋・塩がまの
所々、画に書て送る。且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。さればこそ風流のしれもの、爰に至り
て其実を顕す。
  あやめ草足に結ん草鞋の緒
 かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十符の菅有。今も年々十符の菅菰を調て国
守に献ずと云り。
「芭蕉と仙台」はこちら「杜の都の文学散歩」はこちら

青葉城
仙台城が正しく、道路標識は「仙台城」とあります。青葉城恋歌が流行ったこともあって、青葉城という俗称で親しまれることが多いです。

広瀬川
100万都市仙台の真ん中で鮎が釣れることで有名な川。夏は水遊び。秋は河原での芋煮会で賑わいます。

大崎八幡宮
国宝の本殿の他、重要文化財を多く有している仙台有数の神社で、伊達政宗がここに移したといいます。大崎八幡宮のホームページはこちら

霊屋
「おたまや」と読みます。政宗ら代々の藩主が眠っている伊達家の墓所を人々がそう呼び、地名になっています。政宗の霊廟は、「瑞鳳殿」であり、広瀬川を挟む小高い丘の上にあります。伊達政宗自身が、片倉小十郎とともに、生前に訪れ、死してなお仙台の町を見たい、といって場所を決めたと伝えられます。

るーぷる仙台
観光用のループバスで、仙台駅前を9:00〜16:00の毎時0,30分に発車しています。仙台駅を発車すると、「瑞鳳殿」「仙台国際センター・仙台市博物館」「仙台城(青葉城)」「東北大学理学部付属標本館」「宮城県美術館」を経由します。何度でも乗り降り自由な一日券(600円)もあります。
このほか、松島観光も含めた定期観光バスも運行されている。

国分町
国分氏の居城があったことから、こう呼ばれる。現在では仙台の夜の町の代名詞となっている。ショッピングの一番町と隣り合わせにあり、居酒屋・スナックなど多くの店がある。
文責: 村松淳司