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1.予測された問題は実際に起こったどうか
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(1)多数の外国人の来町
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第1戦 メキシコ−エクアドルでは、1万人以上の外国人が観戦に来ました。両者とも明るいラテン系の国の人で、非常にフレンドリィでした。私達の住む町のあちこちにメキシコ人、エクアドル人がたむろして、日本人と楽しそうに歓談しました。私自身も私の妻とともに日本代表の格好で彼らと記念写真に収まるなど、大変楽しい一日を過ごしました。
第2戦 スウェーデン−アルゼンチンでは、アルゼンチンの国状の問題で、あまり外国人は来ず、スウェーデン人が比較的多かったです。合わせて5000人程度にとどまりました。彼らも非常にフレンドリィで、またもや一緒に写真に収まりました。この写真も彼らのカメラで撮られたので私達には残っていません。
第3戦 日本−トルコは、トルコ人は1000人程度。あとのほぼ5万人は日本人でした。
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(2)フーリガン問題
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全くありませんでした。理由はそういう人たちが全くやってこれない状況だったということです。金銭や対戦カードの問題、アルゼンチンの国状の問題などがあったと思います。
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(3)青少年の非行
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これも全くありませんでした。小学校は特に休校にはしなかったのですが、特別授業を行って、みんなでワールドカップを楽しみました。中学も同じだったようです。
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(4)交通アクセス問題
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これは結構大変でした。予想通りの混乱が起きました。特に日本戦はひどかったです。でも、他の2戦ではあまり問題になりませんでした。どうしてでしょうか。日本人がこういう世界的なサッカーの試合に慣れていないことも大きな理由と思われます。サッカーの試合が始まる前の楽しみ方ができない、というか、ダメなんですね。現にメキシコ人、スウェーデン人は試合後も大騒ぎしていました。まあ、勝ったからでもあるんでしょうが。
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2.ワールドカップで日本に残ったものとは何か
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日本的な視野というより、私自身が感じたことを書きます。
(1)大勢の外国人と親しみを込めて接することができたこと
名前も知らない、年齢も、どこから来たか(国はわかるがそれ以上はわからない)もわからない人たちとあんなに一緒に居られるものか、と驚きました。手をとりあったり、写真に収まったり。
(2)ホスト役を担ったこと
ともあれ日本はホストだったわけですが、多くの来訪者にほぼ満足できる対応だったと思っています。不満を持っているのは同じ日本人だけ。そのことが非常に悲しく思います。ホスピタリティとは一体なんだろうか、そのことを深く考えさせられました。
(3)子供たちが目にし、耳にしたこと
小中学校の子供たちが、目前で世界を感じたことはそれだけで大きかったと思います。カルチャーショックに似たものを居ながらにして感じることができたわけですから。
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3.ワールドカップをやって良かったのか悪かったのか
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多分良かったことしか思い浮かびません。上記の残ったものがあるからです。
唯一の問題は、この宮城スタジアムでしょうか。記念碑として残すにはあまりにも金がかかるものです。折角ワールドカップが行われ、私達の心にいろんなものを残したのですから、この機会に一杯の使い方を考えることが大切と思っています。
ワールドカップをやるために、大変なお金が使われました。このこと自体に問題がないわけではないですが、私達は有形無形の財産、特に無形の財産を心に持ったわけですから、それをいつまでも大切に考えて、巨大な競技場の有効利用を考えなくてはいけません。
といっても、そんなに難しいことではないのです。誰もがサッカーを好きになったように、みんなで巨大競技場でスポーツをすればいいのですから。
スポーツは「する」「みる」「語る」の3種が主要要素といいます。ワールドカップは「みる」「語る」のうち、日本人の苦手な「語る」部分を実際に表現してみせました。いよいよ「する」スポーツをみんなが気軽にできる環境の整備が必要です。といっても、競技場ではありません。競技場があるのですから、あとは使い方、使われ方の問題です。その辺をうまく考えれば、お年寄り、障害者みんなが楽しくスポーツできる環境になります。
そのときこそ、ワールドカップをやって本当に良かった、と心から思うことができるに違いありません。
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