最近の日記はここ

2001/05/09
今朝は昨夜来の雨である。久しぶりの雨で、木々は喜んでいるように見える。
宮城スタジアムの方をみると、雨にかすんでいる。
日曜日は、日韓友情ウォークであった。私も、長女、次女とともに参加した。
韓国の方も10人以上参加され、わきあいあいのウォーキングとなった。
利府駅前で、えいえいお〜〜〜〜をやってからの出発。最初は曇りだったが、やがて晴れてきた。
「暑い」
梨の花がきれいに咲いていた。
宮城スタジアムに着くと弁当。女房に待って貰っていたので、そこでにぎりめしにありついた。
うまい、うまい。
歩いたあとの、爽快感が全身を包み込んでいた。
娘たちも、疲れただのかんだの、全く言わずに、にぎりめしをほおばっていた。
利府高校ブラスバンド、利府太鼓、の演奏はさすがだった。
演奏がすばらしいだけに、むなしさも残った。
なぜ、スタジアムの中を見学させないのだ。
ちょこっと入って、それで、おさらば。
あじけない。。。
お茶を濁しただけの、スタジアム入場は、意味がない。
スタジアムについてのなんの説明もないのだ。
県民からの距離は全然縮まっていない。

さ。気を取り直して、県民の森に向かう。
途中の、青麻(あおそ)神社。水がうまい。
県民の森の中の道は狭いが、木漏れ日の中の道は、とっても気持ちが良い。
やがて、岩切に着く。
ここまでが、青麻道。昔は、この道を通って、青麻神社に詣でたのであろう。
すがすがしいウォーキングだった。
多くの人とのふれあいがあった。多くの人と知り合いになった。
娘たちも、完歩したという確かな自信があった、と思う。
ふと、あれ? ワールドカップ記念の催しだったよな。。。。、と思った。
それにしては、ワールドカップらしいことも、なかった感じだ。
ま、それはそれで、いいのかもしれないが、宮城スタジアムに寄ったのは、やはり、余分だったような気がしてならなかった。
爽快感の中に、何かやるせないものを感じた。
それが何かわからないが、自分の中に、常にある、“距離”のようなものかもしれない。
なお、レポートがここにありますので、ご覧下さい

2001/04/16
昨日は朝からいい天気だった。ちょうど、宮城県ウォーキング協会の方々と会う約束をしていたので、猫の手隊(長女と次女)を連れて、利府駅に向かった。
9時前に彼らと遭遇。朝日新聞の方とも会った。
そう、5/6の日韓友情ウォークの意見交換のためであった。
利府駅から宮城スタジアムまで、回り道をして、歩いた。
とても気持ちがよかった。
心地よい汗とさわやかな疲れが、久々に私を襲ったのだ。
午後からは町内会総会があるので、宮城スタジアムでリタイアしたが、彼らはそのまま県民の森を抜けて、岩切まで歩いたはずだ。
彼らは、宮城仙台友の会「キックラブ」に支援を要請していた。
私ももちろん、支援を受ける気でいた。
だが、キックラブは断った。ちょうど彼らと一緒に歩いている時間の運営委員会で決めたようだ。
私個人としては、友の会組織である「キックラブ」にもっともっと支援をして欲しかったのだが、5/6はちょうど、仙台スタジアムでベガルタ仙台の試合が予定されており、その時間にかかる、日韓友情ウォークは支援したくてもできない、という事情となった。
大変残念なことだが、こうしたことはこれから起こるだろう。
何か、仙台主体のキックラブと、利府に住む私の間にすきま風が吹いたような気がした。
キックラブという組織に入りすぎたのかもしれない。
もうちょっと、距離をおこうか。そんな思いが私をとらえた。

2001/03/26
う〜む。日記といいながら、5日も空けてしまった。
昨日は、ベガルタ仙台のホーム開幕戦であった。そこで、息子2名と一緒に、早速仙台スタジアムを訪れた。
12,800名もの大観衆がほとんど一丸となってベガルタ応援一色である。
選手も近いし、迫力があるから、仙台スタジアムは好きだ。子供連れなので車できたが、近くの公園駐車場に止めたので楽だ。
どうしても宮城スタジアムと比較してしまうが、やむを得ないのかもしれない。
が、こう考えるに至って、ちょっと宮城スタジアムを見直した。
仙台スタジアムの試合観戦は映画や演劇を見に行くのに等しい感覚なのだ。
が、宮城スタジアムは、スポーツの中の一つとしてのサッカー観戦なのだ。
ここが根本的に違うよう気がした。
宮城スタジアムは自分が参加するつもりで行き、試合の前後にスポーツに汗を流すことを自分に課すことにしたら、あんなに恵まれた施設はない、と思うのだが。
一日、スポーツで汗を流す、そのついでに、サッカー観戦をする、ってな感じだ。
が、5万人が汗を流すことはできるかどうか、それが問題ではあるが。

2001/03/21
3/20ホテル仙台プラザのとある講演会にでかけた。仙台Jリーグ推進協議会の催し物である。
川淵Jリーグチェアマンの講演と、浅野知事、丸山仙台大教授によるパネルディスカッションである。
ま、結論から言えば、当たり障りのないことを言う、期待はずれのものであった。総合型スポーツクラブの概念はそう目新しいものではない。それをどう作っていくかが重要なのに、その辺の議論は空回りだった。
住民主導というが、町内会もまともに組織できないところで、そんなのは無理であり、空想にすぎない。
やれ施設だ、やれ指導者だ、と、ほざいてみても、それを主導する人間の不在の問題が根深い。
一方で、施設はずいぶんと立派な、いや立派すぎるものができたり、一方では全然できなかったりと、“貧富の差”は大きい。
崇高な宮城のスポーツ文化の興隆を期待して立った、バベルの塔が、グランディ21なのである。
地域スポーツは、大会型、つまり、ある種の大会を目標に全員が一丸となって練習に明け暮れるものとは、大きく離れているスポーツなのだ。みんなが自分の健康のため、あるいはリフレッシュなどのために行うようなものが多い。
バベルの塔=グランディ21は、その対極に存在するから、始末が悪い。つまり、大会型の施設なのである。イベントをやらないと気が済まないようで、まあ、いろんな芸能人が来てコンサートをやらかす。あるいは、国体、ワールドカップと言った、お役人たちがお好きなイベントがやってくる。
問題は、誰でも口にする“その後”なのである。
簡単に口にする“その後”であるが、地域スポーツのメッカたるべき存在に、グランディ21をしたい、とすれば、かなりの努力が必要である。
だから、ワールドカップ後はあんなものは壊してしまった方がいいかもしれぬ。
宮城県民の怒りに触れて、バベルの塔=グランディ21、いや、宮城スタジアムは哀れ、解体されてしまうのであろう。
なお、総合型地域スポーツクラブについては、(財)塩釜FCの小幡さんががんばっている。伊保石公園にささやかだが、着実な地域スポーツのメッカを作ろうとしている。宮城スタジアムの対極にあたると言えよう。
上記講演会の様子は、キックラブホームページの中で紹介している

2001/03/17
先週の日曜日、こどもたちと一緒に、仙台駅のバリアフリー度をチェックに行った。
普段なにげなく、乗っている電車だが、いきなりステップがある。それに455系だと出入り口が狭い。
仙台駅に到着して、エスカレーターを上がったとき、果たして車椅子の人はどうやって上がるのだろう、と思った。
駅員に聞くと、車椅子の人が乗車すると、仙台駅で待ちかまえているようだ。逆に、仙台駅から乗車するときは、業務用のエレベーター(こいつは各ホームまで行っている)を使うそうだ。
仙台駅のバリアフリー度はその程度だったか、と、ため息をつく。
仙台駅周辺を散策してみた。
仙石線仙台駅へのエレベーターなど確かにあるが、仙石線から乗り換える人、あるいはその逆は、あの長いエスカレーターでは無理だろうな、とか思った。付添人が居て、一時車椅子を降りないとダメ。
それ以外の人は、遠回りをしないといけないわけ。ダメだなぁ、仙台駅。
とまあ、いろいろ考えて、仙台駅案内をつくってみました。どうか、ごらんください。

2001/03/15
日記とは毎日書かなくてもいいのだ。←言い訳
チケット申込騒動は、FIFAのチケットビューローに舞台を移して、4/30まで続くようだ。Team Specific Ticketと、韓国の開催地のチケットはまだ受付中である。
100万通の申込だという。少ない。
たったの、100万通か? 無抽選当選のカテゴリーがあるだろう。
それにしても、盛り上がらないのは、ワールドカップである。まだ、1年? そう、もう1年しかないのだ。
長野オリンピックでは1年前には結構盛り上がっていたような気がする。なぜ、盛り上がらないのか。
広瀬さんは、与えられたイベントだから盛り上がらない、と言っていたが、そうでもないような気がする。日本人は大抵のイベントは自分で作ることはしないで、与えられるものだからだ。
盛り上がらない最大の理由は、「よくわからん」からなのと、「わしゃ、しらん」からなのだ。
前者はサッカーを知っていても、ワールドカップを知らない、後者はサッカーに興味がない。だから、知らないわけだ。
さらには、日本ではまだ、サッカー人口はさほど多くない、のである。
興味を持てない人に、知ってもらうには、かなりの苦労を有する。オリンピックは東京があったし、いわば小学校の運動会の延長線で考えられるが、ワールドカップは小学校の運動会の延長ではとうてい想像がつかない。
そうして、フーリガンという言葉が一人歩きしていき、あげく、一般のサポーターも白い目で見られるようになる。
そういう下地ができ、あるいは、できつつあるときの、ワールドカップなので、盛り上がるどころか、盛り下がるのが当然といえば、当然なのかもしれない。
田舎のばあちゃんが、オリンピックはピンときても、ワールドカップはピンとこないのは、至極当然なのだ。だが、田舎のばあちゃんが、盛り上がらないと、みんなは盛り上がらないだろう。
どうやって盛り上げるか。
いや、もはや無駄だから止めよう、というのも、一理も二理もある。
が、そんな日本の事情はおかまいなく、ワールドカップは来てしまうのである。あと一年後だ。
さあ、どうやって盛り上げる? 実はそう難しくないと思っている。最初に書いたように、日本人は、与えられるイベントで盛り上がる傾向にある。
田舎のばあちゃんが、お上の言っていることに間違いない、と、までは、思わないだろうが、お上のやることには、とりあえずは反対しないし、まして、お上のイベントで役が与えられたら、これは、相当に張り切ってしまう。
つまり、ワールドカップを楽しみたい勝手連は勝手に自分たちで盛り上がればいいし、お上の与えるイベントに、役を仰せつかることで盛り上がるばあちゃんもお上と勝手にやればいい。
両者が融合したとき、日本は盛り上がるのである。
前者の基盤は未だ脆弱だが、着実に進んでいる。
後者のばあちゃんの基盤はどうか。やれ、スポーツ文化の興隆だとか何とか言った各自治体は、ばあちゃんのスポーツ参加はどう思っているのか。
ワールドカップ開催記念ゲートボール大会でもいいし、ワールドカップ開催記念日本舞踊発表会でもなんでもいい。
お上の冠をつけて、役をばあちゃんに無理無理やってもらうことで、ばあちゃんは次第に盛り上がる。
ただし、ばあちゃんの盛り上がる速度は、最初ちょろちょろ、中ぱっぱ、なので、今すぐにでも始めないと遅いだろう。
で、ワールドカップを楽しみたい勝手連は、自治体の冠をうまく使って、ばあちゃんに役を配し、種々のスポーツあるいは文化イベントをやっていくと、まあ、何とか盛り上がるようになるのではないか。

2001/03/13
毎朝、ベッドから起きると、窓から宮城スタジアムが見える。
今日もそこにある、という確認と、あるのか、という、何とも言えない気分が、ときに、憂鬱に、ときに、愉快にさせる。

JSA(日本サポーター協会)理事長の浅野さんという人と知り合いになったのは、1/7のワールドカップ講座のときである。が、彼を知ったのは、それが最初ではない。キリンカップのときの、町内会副会長としての、私のやり方が気に要らぬ、ということを、彼のホームページに書かれてあることを、知ったときからである。
彼は確かに、キリンカップで宮城スタジアムを訪れ、そして、大した内容もないゲームを見て、帰っていった。
そして、あのページを書かれたのだ。
正直言って、ショックを受けた。閉鎖的、だったのだろうか、と。
確かにそうかもしれぬ。自分たちの生活を考えて、他者排除したのだから、島国根性といえるし、そこにはコミュニケーションはない。
そのページとは別に、菅谷台電子掲示板にも、ある人が、閉鎖的な町内会の対応を批判したのだ。浅野さんではないのか、と実は疑っているのだが。
とにかく、キリンカップを体験したことで、私は保守的であると気づいた。だから、ポジティブに見方を変えようと思ったのだ。
だから、まず、いろんな人と情報交換をすることにした。
結果的にはそれが正しかった。
が、正念場はこれから、で、ある。

で、浅野さんは、私の反論をホームページに掲載してくれた。ありがたかった。多謝多謝。

なお、こんなとこにも、私が登場していた、とは....←浅野さんに教えていただいた

2001/03/12
日記をつけることにした
今日は42回目の誕生日でもあるし(笑)。