私と宮城スタジアム   
〜序章〜
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その1, その2, その3, その4, その5, その6, その7, その8

前節からの続き)
 年明け早々、キックラブの実質的な最初の活動「ワールドカップセミナー」とキックラブ大ミーティングがあった。東京のNPO法人・日本サポーター協会の人々がやってきた。理事長は、浅野という名前だった。彼もまた、その後の私の中で大きな存在となるが、そのときは東京からサッカー好きがやってきたわい程度にしか思わなかった。
 浅野氏の講演はかなり興味をひく内容となった。ワールドカップセミナーのくせに、ワールドカップのことはほとんどやらないのだ。町の様子などを淡々と話していく。来年の6月、仙台が、いや利府がどうなるのか、JR東北線の利府支線がどうなるのか、そんな思いをかぶせながら聞いていた。想像以上にすごいイベントが来ることが、ひしひしと伝わってきた。キックラブ大ミーティングでは多くの人が参加した。その中にはその後ワールドカップ期間中を通して、コアメンバーになる人が多かった。仙台は決してさめているわけではない、と思った。
 ともあれ、ワールドカップ宮城・仙台友の会「キックラブ」はスタートした。
 そのころ、国体、ワールドカップ後の宮城スタジアムの活用について無策としか思えない状況に業を煮やして、「宮城スタジアムは解体か」と、かなり控えめのページを作っていた。というのは、有珠山ネットで知り合ったネットワーク管理者に個人的に格安で2002rifu.netをドメインを取得したからだった。
 ドメイン取得とサーバ利用はとにかく破格の値段だった。今でも続いている、このページである。とにかく感謝感激雨霰であった。同時に、かっこいいバナーを作ってくれたのも、有珠山ネットの仲間であった。名前は出さないが、彼らには足を向いては寝られない、そうつくづく思った。
 こうして2002rifu.netは実質的に始まった。それまでは、geocityという無料ホームページを活用していたのだから、格段の進歩である。私自身、サーバの管理もしているし、個人的なサーバもないことはない。でもそれは、tohoku.ac.jpドメイン内の話であり、とても個人的な話である、ワールドカップに関するページを作ることはできない。
 コンテンツの整備を考えたときに、交通アクセス情報ははずせないと思った。恐らく、誰にも負けない交通アクセス情報を提供できるという自信が私にはあった。交通アクセス情報を詳細に掲載していれば、“そのついでに”他のページを見てくれるだろう、という打算もあった。
 が、交通アクセスを見て欲しい対象は、障害者だった。健常者なら別に歩いたってしれているし、何も知らずにやってきてもほとんど問題はない。仙台駅自身もかなりひどい駅だが、その周辺のJRの駅は大抵とんでもない駅が多い。岩切駅は障害者に使うな、と言っているような駅だし、そんな非人道的な駅で乗り換えないと、利府駅には来られない。このことを知って欲しかったし、やはり軌道によるアクセスには限界がある宮城スタジアムを含むグランディ21には、予備知識をしっかり持ってお出でいただきたかった。
 そんなこんなで、2002rifu.netは、ともあれスタートした。
 2月も終わろうとしている頃のことだった。


2002/6/8午前6:00撮影